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国産紅茶の歴史

日本の緑茶紅茶の祖、多田元吉翁

村松氏

旧幕臣 多田元吉翁は文政12(1829)年、千葉県で生まれました。明治2年(このとき40歳)、東京から徳川家15代将軍より払い下げられた静岡の丸子に移住し、広大な茶園を開きました。

国産紅茶製造のはじまり

明治初期から中期の日本では、茶が生糸とともに日本の輸出の主力でした。特に紅茶については世界の需要が多いことに着目し、茶業振興を図る政府から、多田元吉翁は努力を認められて明治政府の役人に抜擢され、明治8年から10年にかけて中国、インドのダージリン、アッサムなど命がけがけで巡り、紅茶製造の技術を学び、日本に持ち帰り全国に広めました。茶の種、紅茶製造方法、病虫害に対する研究、栽培方法、品種改良、近代茶業につながった機械の図面持込み、有機農法の持込み、製造技術等多岐にわたる紅茶製造の技術を日本にもたらし、1881年(明治14年)に初めてインド式製法で本格的紅茶の生産が始まりました。

紅茶の技術は緑茶製造にも応用され、緑茶の大量生産の道を開きました。元吉翁は茶の品種改良や有機栽培、製茶器具の発明、害虫発見、技術者の育成など日本近代茶業発展の基礎を築きました。

紅茶製造の危機を乗り越えて

しかし、紅茶生産は昭和初期をピークとして、第二次大戦後、日本経済が高度成長するにともない、国産紅茶は価格競争力を失って国産紅茶の産業化推進は中止されました。1971(昭和46)年6月には紅茶の輸入自由化が行われます。これ以降、国産紅茶は一部の地場消費用に1~2トン程度が生産される程度となりました。

元吉翁栽培の茶樹昭和28~30年 村松二六は、この丸子の地に紅茶の灯を消してはならないと、試験場にて紅茶の研修で学び得た知識をもとに本物の紅茶作りに挑戦し、紅茶品種の紅富貴を日本で最初に民間で栽培しました。

元吉翁の旧居、茶園は丸子の墓地近くにありましたが、現在は整地されて見ることはできません。しかし元吉翁栽培の茶樹は現在も残っています。

全国地紅茶サミット2010

全国地紅茶サミット2010 風景

全国地紅茶サミットは、2002年鳥取県現在の大山町で開催されたのを始めに、毎年、開催されています。今まで開催された場所は、石川県輪島市、静岡県下田市、福岡県北九州市、福岡県八女郡、高知県、などです。2010年静岡市で開催されたサミットは、国産紅茶発祥の地、静岡市の紅茶が全国に発信できた、たいへん盛況ですばらしいサミットでした。

このサミットは、それぞれの地域で地紅茶づくりに取り組んでいる全国の生産者が一堂に集まって、一般の紅茶愛好家の方々との交流を通して、地紅茶の魅力を高め、更なる市場開拓を目指そうというものです。

当日は、3つの会場で3つのイベントが行われました。静岡県産業経済会館で行われたシンポジウムでは、北は北海道から南は大分県まで、紅茶販売、生産、研究、ファンなど関係者、200名以上が参加し、紅茶の歴史、今後の可能性などか議論されました。

記念講演では、多田元吉翁顕彰会の川口国昭さんにより、多田元吉翁が、この静岡市丸子で紅茶づくりを始めた事が紹介されました。

地紅茶づくりによる地域活性化

地元小学生の体験風景

紅茶作りは、地域活性化の手段のひとつになります。丸子赤目ケ谷町内では、(長田西自治会連合会3,880戸のうち専業農家は、わずか4軒である)小子高齢化が進んでおり、長田西自治会連合会では25%が高齢者である(天満宮とろろ祭りがすでに18回という歴史を刻んでいる)団塊の世代の人がひと段落して、若干なりとも時間がとれる環境にあるなどの現状をうけて、「丸子ティーファクトリー」を立ち上げ、地紅茶づくりが進められています。丸子ティーファクトリーでは、紅茶づくりが体験できます。今までに、県内外問わず、多くの方が体験されています。

継続した紅茶づくりは、技術の伝承が不可欠です。丸子まちづくり協議会など地域の方、商店会、JAなどを巻き込み、紅茶づくりを広げると同時に製造販売することにより、地域活性化に役立てたいと考えています。